はじめまして。
田舎暮らしの主婦、emuです。
「自分らしく人生を創造する!」と決意した主婦による、ちょっとスピリチュアルで、かなり主観的な個人ブログへようこそ。
簡単に自己紹介すると、私はこんな感じの人間です。
- 夫と娘の3人家族
- 安定と自由を求める太陽星座:牡牛座 / 月星座:射手座
- 感情移入して怒りやすく涙もろいタイプ
- 真面目一直線
- 自己探求とアニメ鑑賞が趣味のインドア派
ここからは長編ストーリーになりますので、ご興味がありましたらどうぞ。
私の趣味が「自己探求」である理由が、ここにあります。
目次[非表示]
いじめのトラウマと冴えない学生時代
一般家庭の長女として爆誕し、46年間地元から離れたことがありません。
幼少期からいじめのターゲットにされていたことがトラウマで、いつしか、自分が人からどう見られているのかを気にしながら生きるようになりました。
小・中学生時代は、ストレスで体調を崩しながらもなんとか学校に通い、自我を出したり引っ込めたりしながら、いじめっ子たちが進学しない公立の高校へ進学。
私のことをほぼ知らない同級生との新しい学生生活に、胸を躍らせました。
なるべく周囲のノリに合わせながら3年間を過ごしたおかげで、最も穏やかな学生生活を送ることができました。
生まれながらの好奇心(飽きっぽさ?)が裏目に出たのか、学生時代に明確な夢も目的も見出せなかったため、「高校を卒業したら進学か就職」というベタなレールに乗っかるのもなぁ…と、やりたいことが見つかるまでフリーターとして生きることを選択。
高校時代のアルバイトをそのまま継続して自由を満喫した後、アパレルや雑貨を扱う地元の会社に就職しました。
専業主婦だった母の不自由さを目の当たりにしながら育ったせいか、「お母さんとは違う生き方をするんだ!!」と意気込んで社会に出たものの、これが度重なる転職ストーリーの幕開けとなりました。
私の運命やいかに(笑)!
華麗なる(?)転職黄金期
同性との人間関係が上手くいかないのは、社会人になっても変わらず。
はじめのうちは、なんとか穏やかに過ごせていましたが、店長という役割を与えられたことで一変しました。
『上司の期待に応えたいけど、スタッフにも嫌われたくない』という未熟な理由で自己犠牲的な働き方を続けた結果、メンタル不調に陥って3年で退職することに。
その後、自分を奮い立たせ、「手に職を」と、オーナー夫婦が営むお店の見習い美容師として勤務し、持病のアトピー性皮膚炎や手荒れと闘いながら3年間の修業を経て免許を取得しました。
その時は、既に一般的な出産適齢期に差し掛かる頃で、「このタイミングしかない!」と、5年間交際した夫に逆プロポーズして結婚(笑)。
その2年後に妊娠が発覚するも、ドクターストップがかかって寝たきり状態になり、働けなくなりました。
妊娠しても美容師として働けると考えていましたが、浅はかでした。誰もが元気な妊婦ではないんですよね。
シャンプーや薬液によるアトピー性皮膚炎の悪化や、実際は施術するよりされる方が好きだったと気づいたことも相まって、スッパリと美容師を引退。
束の間の「第一次専業主婦期」を過ごし、出産の8ヶ月後には、子育てとの両立と福利厚生の良さに釣られ、誘われるまま生保レディに転身しました(笑)。
が!!ここでみんなの期待(?)を裏切らないのが私。
案の定、毎月のノルマをこなせず3年目に退職。「女の園」と「過激な(?)競争」が、自分には合わないと痛感したのでした。
自尊心もボロボロ。「こんな私に何ができるのさ。」と鬱々と過ごす日々。
とはいえ、ひと月以内に再就職しなければ保育園に子供を預けられなくなるため、とっとと仕事を決めなくてはなりません。
そこで焦った私は、自宅からも近く、求人広告でいちばん"さわやかな印象と理念"を持った会社を選んで就職しました。
これが「まさか!」いや、「やはり!」の展開に…(泣笑)。
人生初のブラック体験
ハローワークの職員さんの「あっ…、この会社にされるんですね…?営業職をされていたなら、他にも仕事があると思いますよ?」という意味ありげな言葉が、妙にひっかかっていました。
ハイ。人生初の「ブラック会社」に大当り〜(カランカラン♪)!!
入社2日目にそれが発覚。実は大量退職があり、その補充要員を募集してたのです。
たったひとり辞められずに残っていた先輩に「お願いだから辞めないでほしい」と涙ながらに訴えられ、事の重大さを知りました。
そう。あの"さわやかさ"は、求人用の偽りの姿だったんですね(広告だから当然だけど)。
ハローワークの職員さんは、そんな事情を言うに言えずだったのでしょう。私の他にも10人近く新入社員がいたものの、ひと月の間にどんどん辞めていきました。
辞めていった社員への恨みつらみを聞かされる毎日の朝礼。ワンマン社長の罵声や怒号が響き渡る工場内。
会社に関する話(特に愚痴など)は社内禁止で、休憩所では盗聴器でもあるのかと疑ってしまうほどの緊張感が漂っていました。
いつ何時、社長の怒りのスイッチが入るかわかりません。怯えながら作業する日々は続き、ついに体に異変が表れ始めました。
頭がぼんやりして、指示されたことができない。食欲が落ち、体には無自覚な大きな青アザが増え、激しい咳が1日中止まらない⋯(病院でも原因不明)。
入社して4ヶ月で体重が38kgまで落ち込み(身長約160cm。体重が戻るのに1年以上かかりました)、「このままでは自分が壊れてしまう」と命の危険を感じた私は、電話一本で退職の旨を伝え、トンズラするしかありませんでした。
なぜなら、直接辞めると言えば、それを撤回するまで社長室から出られない状況だったからです。
そんな辞め方しかできなかった自分を責めましたが、本当にそれが精一杯でした。
人生の価値観の変化
支配的な環境にいたことで、仕事のストレスを家庭に持ち込み続けた私。
子供に寂しい思いや不自由さを与え、夫や夫の両親との関係も悪化し、不幸のダブルパンチでした。
「こんな人生が続くなんて、おかしい!」
私はお金や仕事、人生について、真剣に考えるようになりました。啓発本を読んだり、独立について模索したり、とにかくこれまでとは違う選択をしようと決めたのです。
まずは、両親や家族との関わりを優先するために、正社員からパート勤務に切り替えました。
その後も転職を2度経験したものの(やはり人間関係 笑)、やがてブラック会社での体験は、私の人生を変えるきっかけだったと思えるように。
そして、周囲から「やらない方がいいんじゃない?」と言われていた投資を書籍を頼りに小さく始め、何にお金を使うべきかを考えるようになりました。
夫や夫の両親との関係も修復でき「これでようやく穏やかな人生を送れる」と安堵していた矢先、手術が必要になり、パートを休職。
「一難去ってまた一難」とは、こういうことなのだと思い知らされました。
元々、いつかはひとりで仕事をやっていきたいという理想を持っていたため、在宅ワークへの憧れがより一層強まり、復職後からパートで働く時間を減らすようになりました。
世界最大のピンチと人生の切り替え
パートの仕事を徐々に減らして個人事業主デビューした頃、あの世界的なパンデミックが起きました。
週のほとんどを在宅で活動していたので、運よく子供の学校閉鎖にも対応できました。この出来事があったからこそ、私は益々、在宅での活動に力を入れるようになりました。
ところが、次々とトラブルは起こるもので…(笑)。
アトピー性皮膚炎が突然悪化して顔が腫れ上がり、症状はやがて全身に広がっていきました。痛みと激しい痒みで働けなくなり、パートを退職。
在宅の仕事にも陰りが見え始め(求められることとやりたいことのバランスを取るのが難しくなったため)、実質的に「第二次専業主婦期」に突入しました。
私はここから「人生とは何か」「自分らしさとは何か」「自分の役割や仕事は何か」と、壮大なテーマの長い長い自己対話を始めました。
占星術を学んだり、引き寄せの法則や潜在意識について調べたり、興味を惹かれるものから情報を取り入れました。若干、スピリチュアル依存的になりましたが(笑)、心身を休めることができました。
今思えば、これも人生の切り替えのタイミングたったのかもしれません。
本音との向き合い
重なる転職や、人間関係のトラブルに見舞われてきた人生に、私は意味を見出したいと思いました。これまでの体験は、決して無駄じゃなかったと。
そして、自己理解不足から本来の自分らしさを失い、本音にも蓋をして生きていたことに気づいたのです。
社会で何かしら結果を出さないと、自分に価値がないと思い込んでいた私。
でも、客観的に捉えても、会社勤めには向いていないタイプなんだと理解し(笑)、その価値観を手放すことができました。
それに、子供との時間をもっと優先したかったという後悔に気づいたのです。
自分で全部決めていたつもりが、思いっきり周囲の価値観に流されていただけだったんですね。
意外にも、私は家庭的な人間でした。
私は、母みたいに不自由になりたくなくて(後に、当の本人は、さほど不自由を感じていなかったと知る)、自分の選択肢を狭めていたのだと思います。
"生まれ育った環境や、社会の価値観との無意識な葛藤"
これらが表面化してネガティブな物事が起きていたことを知り、私は自分を生き直そうと思いました。
家族優先の人生にシフト
失った時間を取り戻すように、子供の受験のサポートをする傍らで、自分の方向性を見直すことにしました。
なるべく自分を優先し、自己犠牲的な思考を手放すことに意識を向けました。
初めのうちは、かなり抵抗がありました。でも、自分自身が幸せでない限り、他者への幸せの共有はできません。
時間が自由に使えるようになったことで、精神的にも穏やかになり、以前よりも家族との関係性は深まりました。
これまでの気づき
自分の本音に従って行動することで、自分らしく心豊かに生きられることに気づいた私。
自分で選択したのだから、もちろん誰のせいにもできません。でもそれが、自分の人生に責任を持つことなんだと思うようになりました。
「責任」というと、物凄く重たく感じるかもしれませんが、自分を信頼することにもつながります。
自己理解を深めるための探求は、そのために一生続けていくものだと考えるようになりました。
現在~人生はDIYのように、楽しむもの~
私は自分らしく生きるために、得意なことを活かした活動をしています。
このブログは、ただの主婦である私が。どうやって自分の人生を創造しているのかや、普段考えていること、感じていることをざっくばらんに発信していこうと思っています。
人生はDIYのように、楽しむもの。
自分らしく最幸の人生を楽しむために、私はワタシを生きていきます。
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