はじめまして、emuです

2024/04/26

自己紹介

t f B! P L

はじめまして。田舎で暮らす主婦、emuです。

このブログは、「自分らしく人生を創造したい!」と心に決めた一人の主婦が綴る、ちょっぴりスピリチュアルで、かなり私的な日々の記録です。気軽に覗いていただけたら嬉しいです。

自己紹介

簡単に自己紹介をさせてください。私はこんな人間です。

  • 夫と娘と暮らす3人家族
  • 安定自由を追い求める、太陽星座:牡牛座/月星座:射手座
  • 感情移入しやすく、怒りやすく涙もろい一面も
  • 真面目さが取り柄(?)
  • 趣味は自己探求アニメ鑑賞の根っからのインドア派

ここからは、なぜ私が「自己探求」を趣味にするに至ったのか、私の半生を少し長めにお話しさせてください。興味があれば、ぜひお付き合いくださいね。

幼少期〜学生時代:静かなるサバイバル

私は一般家庭の長女として生まれ、46年間、この地元を離れたことがありません。

幼少期の私は、バトルもののアニメが大好きで、登場人物たちが互いに切磋琢磨し合う関係性に強く憧れていました。

でも、実際はいじめに遭うことが多く、トラウマを抱えていたんです。

理想と現実の大きなギャップに深く悩み、幼いながらも「なぜだろう?」と、その答えを探し始めるようになりました。

小・中学校時代は、ストレスで体調を崩しながらも、なんとか学校へ。本当の自分を出したり隠したりしながら、いじめっ子たちが進学しない公立高校へ進みました。

新しい環境での高校生活は、私にとって大きな希望でした。なるべく周囲に合わせて過ごした3年間は、これまでで一番穏やかな時間だったと記憶しています。

ただ、生まれ持った好奇心(飽きっぽい性格?)が裏目に出たのか、学生時代にはっきりとした夢や目標を見つけられませんでした。

「卒業したら進学か就職か…」というレールに乗るのも違う気がして、やりたいことを見つけるまでフリーターとして生きる道を選んだんです。高校時代のアルバイトをそのまま続け、自由を謳歌していましたね。

その後、アパレルや雑貨を扱う地元の会社に就職。

専業主婦だった母の不自由さをそばで見て育ったせいか、「お母さんとは違う生き方をするんだ!」と意気込んで社会に出たものの、ここから私の華麗なる(?)転職ストーリーが幕を開けます(笑)。


波乱の転職黄金期、そして新たな始まり

社会人になっても、同性との人間関係でつまずくことは変わりませんでした。最初は穏やかに過ごせていましたが、店長という役割を与えられたことで状況は一変。

「上司の期待に応えたい、でもスタッフには嫌われたくない」という未熟な思いから自己犠牲的な働き方を続け、結局メンタルを崩して3年で退職することに。

その後、「手に職をつけよう」と奮起し、オーナー夫婦が営むお店で見習い美容師として働き始めました。持病のアトピー性皮膚炎や手荒れと闘いながら3年間修行し、なんとか免許を取得。

その頃には、一般的な出産適齢期に差し掛かっていたので「このタイミングしかない!」と、5年間交際していた夫に逆プロポーズして結婚しました(笑)。

2年後に妊娠が発覚しましたが、ドクターストップがかかり寝たきり状態に。美容師として働き続けるのは難しいと悟り、あっさり引退しました。

束の間の「第一次専業主婦期」を経て、出産から8ヶ月後には、子育てとの両立と福利厚生の良さに惹かれ、誘われるがままに生保レディに転身(笑)。

…が、ここで皆さんの期待(?)を裏切らないのが私。

案の定、毎月のノルマをこなせず3年目で退職。「女の園」と「過激な競争」は、自分には合わないと痛感しました。

自尊心もボロボロになり、「こんな私に何ができるのさ…」と鬱々と過ごす日々。とはいえ、ひと月以内に再就職しないと娘を保育園に預けられないため、焦って仕事を探しました。

そこで選んだのが、自宅からも近く、求人広告で一番「さわやかな印象」を受けた会社。これが「まさか!」いや、「やっぱり!」の展開に…(苦笑)。


初めてのブラック体験、そして人生の転機

ハローワークの職員さんの「あっ…この会社にされるんですね…?営業職をされていたなら、他にも仕事があると思いますよ?」という、意味深な言葉が心に引っかかっていました。

そう、大当たり!私の人生初の「ブラックな会社」でした(チーン! 笑)。

入社2日目にはそれが発覚。大量退職の補充要員だったのです。唯一残っていた先輩に「お願いだから辞めないでほしい」と涙ながらに訴えられ、事の重大さを知りました。

あの「さわやかさ」は、求人用の偽りの姿だったんですね(広告だから当然ですが)。私の他にも10人近く新入社員がいましたが、あっという間に皆辞めていきました。

毎日の朝礼では辞めた社員への恨みつらみが聞かされ、ワンマン社長の罵声と怒号が工場中に響き渡る。会社に関する愚痴は社内禁止で、休憩所は盗聴器があるのかと思うほどの緊張感が漂っていました。

いつ社長の怒りのスイッチが入るかわからない。そんな怯えながらの作業が続き、ついに体に異変が出始めました。頭がぼんやりして指示が頭に入らない、食欲不振、無自覚の大きな青アザ、止まらない激しい咳(病院でも原因不明)。入社4ヶ月で体重は38kgまで落ち込み(身長約160cm。体重が戻るのに1年以上かかりました)、「このままでは自分が壊れてしまう」と命の危険を感じたんです。

結果、私は電話一本で退職の意を伝え、トンズラするしかありませんでした。

なぜなら、直接辞めると言えば、それを撤回するまで社長室から出られない状況だったからです。そんな辞め方しかできなかった自分を責めましたが、本当にそれが精一杯でした。


価値観の転換点、そして新たな試み

支配的な環境で働き続けたことで、私は仕事のストレスを家庭に持ち込み、子どもに寂しい思いをさせ、夫や義両親との関係も悪化。まさに不幸のダブルパンチ…。

そこから、お金、仕事、そして人生そのものについて真剣に考えるようになりました。

とはいうものの、勉強は苦手で、正直、難しいことを理解するのにも少し抵抗があった私。啓発本を読み漁り(内容はほぼ入っておらず、気持ちだけ盛り上がる 苦笑)、独立について模索し…とにかくこれまでの自分とは違う選択をしようと決意しました。

まずは、両親や家族との関わりを優先するため、正社員からパート勤務に切り替え。その後も2度の転職を経験しましたが(やはり人間関係が原因…笑)、やがてブラックな会社での体験こそが、私の人生を変える大きなきっかけだったと思えるように。

周囲から「やらない方がいい」と言われていた投資も、書籍を頼りに小さくスタートし、何にお金を使うべきか真剣に考えるようになりました。

夫や義両親との関係も修復でき、「これでようやく穏やかな人生を送れる」と安堵した矢先、まさかの手術が必要になり、パートを休職。「一難去ってまた一難」とはこのことかと痛感しました。

元々、いつかは一人で仕事をしたいという理想があったため、在宅ワークへの憧れが募り、復職後からパートの時間を徐々に減らしていきました。


世界的ピンチ、そして「私」との対話

パートの仕事を減らし、個人事業主として活動を始めた頃、あの世界的なパンデミックが起こりました。

週のほとんどを在宅で活動していた私は、運良く子どもの学校閉鎖にも対応できたんです。この経験があったからこそ、在宅での活動にますます力を入れるようになりました。

ところが、トラブルは続くもので…(笑)。

アトピー性皮膚炎が突然悪化して顔が腫れ上がり、症状は全身へ。痛みと激しい痒みで働けなくなり、パートを退職。在宅の仕事も、求められることとやりたいことのバランスが難しくなり、実質的に「第二次専業主婦期」に突入しました。

占星術を学んだり、引き寄せの法則や潜在意識について調べたり、興味を惹かれる情報を貪欲に取り入れました。一時的にスピリチュアルに依存的になった時期もありましたが(笑)、ふんわりと掴みどころのない曖昧さに嫌気がさし、「人生とは何か」「自分らしさとは何か」「自分の役割や仕事は何か」という、壮大なテーマで長く深い自己対話を始めました。

今思えば、これらの流れは、心身を休める大切な時間につながっていて、人生の「切り替え」のタイミングだったのかもしれません。


本音との向き合い、そして家族優先の生き方へ

重なる転職や人間関係のトラブルに見舞われてきた人生に、私は意味を見出したいと思いました。これまでの経験は、決して無駄ではなかったと。

そして、ようやく自己理解が足りなかったことや、本来の自分らしさを失い、本音にも蓋をして生きてきたこと気づいたんです。

社会で結果を出さないと、自分に価値がないと思い込んでいた私。でも、客観的に見ても、会社勤めには向いていないタイプなんだと理解し(笑)、その価値観を手放すことができました。何より、もっと娘との時間を優先したかったという後悔に気づいたんです。

自分で全部決めていたつもりだったのに、思いっきり周囲の価値観に流されていたんですね。

意外にも、私はとても家庭的な人間だと気づいたんですが、「母みたいに不自由になりたくない」という思いが強すぎて(後に、当の母はさほど不自由を感じていなかったと知るんですが)、自分で自分の選択肢を狭めていたんだと思います。

生まれ育った環境や、社会の価値観との無意識な葛藤

これらが表面化してネガティブな出来事が起きていたことを知り、私は「自分を生き直そう」と強く決意しました。

失った時間を取り戻すように、娘の受験サポートをしながら、自分の方向性を見直す日々。なるべく自分を優先し、自己犠牲的な思考を手放すことに意識を向けました。

最初はかなりの抵抗がありましたが、自分自身が幸せでなければ、誰かに幸せを分けることなどできません。時間が自由に使えるようになったことで、精神的にも穏やかになり、以前よりも家族との関係性は深く、温かいものになりました。


現在:人生はDIYのように楽しむもの

自分の本音に従って行動することで、自分らしく心豊かに生きられる。

この大きな気づきを得た私は、自分らしく生きるために、得意なことを活かした活動をしています。

自分で決めたのだから、誰にも文句はいえません。でも、それこそが自分の人生に責任を持つことなのだと、今は思っています。

「責任」という言葉は重く感じるかもしれませんが、それは自分を信頼することにも繋がります。

このブログでは、悩みに押しつぶされていた「ただの主婦」である私が、どうやって自分の望む人生を創造しているのか、そして普段考えていることや感じていることを、飾らずに発信していこうと思います。

人生は、まるでDIYのように、自分自身で創り上げて楽しむもの。

自分らしく、最高の人生を謳歌するために、私はこれからも「私」を生きていきます。





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