はじめまして。
田舎暮らしの主婦、emuです。
「自分らしく人生を創造する!」と決意した主婦による、ちょっとスピリチュアルで、かなり主観的な個人ブログへようこそ。
簡単に自己紹介すると、私はこんな感じの人間です。
- 夫と娘の3人家族
- 安定と自由を求める太陽星座:牡牛座 / 月星座:射手座
- 感情移入して怒りやすく涙もろいタイプ
- 自己探求とアニメ鑑賞が趣味のインドア派
ここからは、長編ストーリーになりますので、ご興味がありましたらどうぞ。
46年間、地元から離れたことナシ
一般家庭の長女として爆誕して46年間、地元から離れたことがありません。
生まれながらの好奇心(飽きっぽさ?)が裏目に出たのか、学生時代に明確な夢も目的も見出せなかったため、「高校を卒業したら進学か就職」という、ベタなレールに乗っかるのもなぁ…と、やりたいことが見つかるまでフリーターとして生きることを選択しました(笑)。
高校時代のアルバイトをそのまま継続して自由を満喫した後、アパレルや雑貨を扱う地元の会社に就職。
専業主婦だった母の不自由さを目の当たりにしながら育ったせいか、「お母さんとは違う生き方をするんだ!!」と意気込んで社会に出たものの、これが度重なる転職ストーリーの幕開けとなりました(笑)。
華麗なる(?)転職黄金期
幼少期から、同性との人間関係が上手くいかないことがほとんど。社会人になっても、その状況は変わりませんでした。
会社は、女性ばかり。店長という役割を与えられるも、『上司の期待に応えたいけど、スタッフにも嫌われたくない』という未熟な理由で自己犠牲的な働き方を続けた結果、メンタル不調に陥って3年で退職しました。
その後自分を奮い立たせ、「手に職を」と、オーナー夫婦が営むお店の見習い美容師として勤務し、持病のアトピー性皮膚炎や手荒れと闘いながら、3年間の修業を経て免許を取得。
その時は既に一般的な出産適齢期に差し掛かる頃で、このタイミングしかないと決断し、逆プロポーズで、5年間交際した夫と結婚しました(笑)。
その2年後に妊娠が発覚するも、ドクターストップがかかって寝たきり状態に…。
妊娠しても働けると考えていましたが、アトピー性皮膚炎の悪化や、実際は施術するよりされる方が好きだったと気付いたことで、スッパリと引退。
束の間の「第一次専業主婦期」を過ごし、出産の8ヶ月後には、子育てとの両立と福利厚生の良さに釣られ、誘われるまま生保レディに転身しました(笑)。
が!!ここでみんなの期待(?)を裏切らないのが私。
案の定、毎月のノルマをこなせず、3年目に退職(笑)。「女の園」と「過激な(?)競争」が、自分には合わないと痛感したのでした。
自尊心もボロボロ。「こんな私に何ができるのさ。」と、鬱々と過ごす日々。とはいえ、ひと月以内に再就職しなければ、保育園に子供を預けられなくなるため、働かないわけにはいきません。
そこで焦った私は、自宅からも近く、求人広告でいちばん"さわやかな印象と理念"を持った会社を選んで就職しました。
これが「まさか!」いや、「やはり!」の展開に…(笑)。
人生初のブラック体験
職安の職員さんの「あっ…、この会社にされるんですね…?営業職をされていたなら、他にも仕事があると思いますよ?」という、意味ありげな言葉が妙にひっかかっていました。
ハイ。人生初の「ブラック会社」に大当り〜(カランカラン♪)!!
入社2日目に、それが発覚。実は大量退職があり、その補充要員を募集してたのです。たったひとり、辞められずに残っていた先輩に「お願いだから辞めないでほしい」と涙ながらに訴えられ、事の重大さを知りました。
そう。あの"さわやかさ"は、求人用の偽りの姿だったのです(広告だから当然だけど)。
職安の方は、そんな事情を言うに言えずだったのでしょう。私の他にも、10人近く新入社員がいたものの、ひと月の間に、どんどん辞めていきました。
辞めていった社員への恨みつらみを聞かされる毎日の朝礼。ワンマン社長の罵声や怒号が響き渡る工場内。
会社に関する話(愚痴など)は社内禁止で、休憩所では、盗聴器でもあるのかと疑ってしまうほどの緊張感が漂っていました。
いつ何時、社長の怒りのスイッチが入るかわかりません。怯えながら作業する日々は続き、ついに体に異変が表れ始めました。
頭がぼんやりして、指示されたことができない。食欲が落ち、体には無自覚な大きな青アザが増え、激しい咳が1日中止まらない⋯(病院でも原因不明)。
入社して4ヶ月で体重が38kgまで落ち込み(身長約160cm回復するのに1年以上かかりました)、「このままでは自分が壊れてしまう」と命の危険を感じた私は、電話一本で退職の旨を伝え、トンズラするしかありませんでした。
なぜなら、直接辞めると言えば、それを撤回するまで、社長室から出られない状況だったからです。
今のように退職代行なんてあるわけもなく、そんな辞め方しかできなかった自分を責めましたが、本当にそれが精一杯でした。
人生の価値観の変化
支配的な環境にいたことで、仕事のストレスを家庭に持ち込み続けた私。子供に寂しい思いや不自由さを与え、夫や夫の両親との関係も悪化し、不幸のダブルパンチでした。
「こんな人生が続くなんて、おかしい!」
私はお金や仕事、人生について、真剣に考えるようになりました。啓発本を読んだり、独立について模索したり、とにかくこれまでとは違う選択をしようと決めたのです。
まずは、両親や家族との関わりを優先するために、正社員からパート勤務に切り替えました。その後も転職を2度経験したものの(やはり人間関係 笑)、やがてブラック会社での体験は、私の人生を変えるきっかけだったと思えるようになりました。
夫や、夫の両親との関係も修復でき、「これでようやく穏やかな人生を送れる」と安堵していた矢先、手術が必要になり、パートを休職。「一難去ってまた一難」とは、こういうことなのだと思い知らされました。
元々、いつかはひとりで仕事をやっていきたいという理想を持っていたため、在宅ワークへの憧れがより一層強まり、復職後から、パートで働く時間を減らすようになりました。
世界最大のピンチと人生の切り替え
パートの仕事を徐々に減らし、個人事業主デビューした頃、あの世界的なパンデミックが起きました。
週のほとんどを在宅で活動していたので、子供の学校閉鎖にも対応できました。この出来事があったからこそ、私は益々、在宅での活動に力を入れるようになりました。
ところが、次々とトラブルは起こるもので…。
アトピー性皮膚炎が突然悪化して、顔が腫れ上がり、症状はやがて全身に広がっていきました。痛みと激しい痒みで働けなくなり、パートを退職。在宅の仕事にも陰りが見え始め、実質的に「第二次専業主婦期」に突入しました。
幸いにも、小さく始めていた投資がお守りになり、なんとかしのぐことができました。
私はここから「人生とは何か」「自分らしさとは何か」「自分の役割や仕事は何か」と、テーマを大きくした長い長い自己対話を始めました。
占星術を学んだり、引き寄せの法則や潜在意識について調べたり、興味を惹かれるものから情報を取り入れました。
今思えば、これも人生の切り替えのタイミングたったんでしょう。ある意味、強制停止させられたようでした。
本音との向き合い
重なる転職や、人間関係のトラブルに見舞われてきた人生に、私は意味を見出したいと思いました。これまでの体験は、決して無駄じゃなかったと。
そして、自己理解不足から、本来の自分らしさを失い、本音にも蓋をして生きていたことに気付いたのです。
社会で何かしら結果を出さないと、自分に価値がないと思い込んでいました。でも私は、客観的に捉えても、会社勤めには向いていないタイプです。それに、子供との時間をもっと優先したかったという後悔もありました。
意外にも私は、家庭を守るくらいがちょうどいい人間でした。というより、むしろ、それが私らしい生き方だったのです。
私はそれを、認めたくありませんでした。母みたいに、不自由になりたくなかったから…(後に、当の本人は、さほど不自由を感じていなかったと知る)。
『生まれ育った環境や、社会の価値観との無意識な葛藤』
これらが表面化してネガティブな物事が起きていたことを知り、溢れ出る本音に涙しながら、私は生き直そうと思いました。
家族優先の人生にシフト
失った時間を取り戻すように、私は子供の受験のサポートをする傍らで、自分の方向性を見直すことにしました。
最優先はあくまで「私自身」で、次が「家族」です。これは、自己犠牲的な思考を手放して、心地よく生きるためでもあります。
それを自分に許可するのは、初めのうちは抵抗がありました。でも、自分自身が幸せでない限り、本当の意味での他者への幸せの共有はできません。
根気強く過去のパターンを手放しながら、時間が自由に使えるようになったことで家族との関係性は深まりました。
現在
私は自分らしく生きるために、得意なことを活かした発信活動をしています。
その目的は、自分の世界観を確立させた上で、社会と調和して生きることの大切さを伝えるためです。
このブログは、より個人的でざっくばらんな内容に特化したもので、自分らしく生きることを、もっと気楽に捉えられるようなものにしたいと考えています。
「自分らしく最幸の人生を楽しむために、自分を探求しよう!」
これが、今の私です。
≪真面目モードの自己探求Blog≫