「言語化」という名の自己探求

2025/03/21

学び 自己理解

t f B! P L


こんにちは、emuです。

自分自身を言語化するのって、自分の内側を整理したり、自己理解を深めるのに必要だと思います。

頭の中で考えるだけじゃなくて、「見える化」すると、より効果を感じられるんですよね。

以前の私は、自分と向き合うなんて習慣がなかったので、占いやお手軽な無料診断で、「私は〇〇タイプ!」なんて納得していただけだったんですけど(笑)。

今思うと、自分と向き合うことを避けている人間が、自分らしく生きられるハズがないんですよね。

現在の"自分" が形成されるまで

私たちは、誰もが真っ白な状態から人生をスタートして、時代とか国とか、両親からの影響を受けまくって、今の自分を形成しているわけです。

(私の場合、アニメの影響受けっぱなしですけど 笑)

そうすると、社会の価値観と本音がごちゃ混ぜになって、何が「本当の自分」なのか、何が自分の「本当の望み」なのかを悩むようになるんですよね。

でも、残念ながらその答えは、自分で探すしかなくて。

今の自分を形成した要素について言語化すると、まるで "ふるい" にかけたように、不要な価値観や思い込みの塊が、ゴロゴロと残っていることに気付くんです。

自分を言語化するメリット

自分自身の性格や知的な強み、好きなことや嫌いなこと、今まさに感じていること。

これらを言語化することで、私は「やらされている(やらなきゃ駄目)」って思うことを手放して、やりたいことに集中できるようになりました。

それまではずっと、自己犠牲的に、全部自分でやろうとしてたんですよね(あとは意地)。

でも、苦手なことは得意な人と協力すればいいって考えるようにしたら、助けを求めたり、周囲の人に感謝できるようになったんです。

他にも、自分の思考や感情の癖を知って駄目な部分も受け入れたら、過去の出来事を客観的に捉えられるようになって、気持ちも楽になりました。

それに、怒りの感情の裏側にも、大切にしたい「強い想い」があるってことにも気付いたんですよね。

私はその想いに気付けなくて、ストレスやうっぷんを溜め込んでました。

たからこそ、そういう部分も含めた自己理解を深めることって、大事なんだと思います。

言葉にするって難しいけど

これだけのメリットがあるのに言葉にするのを避けてきたのは、面倒だった以外に、正直、自分のダメなところを見たくなかったからなんです(笑)。

それに、「書いて見える化する」って、誰かの目に触れるかもしれなくて、嫌だったんですよね。

(万が一の時に、家族に読まれるのが恥ずかしくて。)

だから日記も書かないんですけど、頭の整理をしたくなったら、コピー用紙の裏に書き込んで、終わったら破って捨ててます。

結構雑な感じもするんだけど、それでもちゃんと効果はあって、今の私は人生史上「自分らしい」状態です。

自分らしく生きる

「自分らしく生きてるってなんぞや?」って思う人がいるかもしれませんね。

私はそのために、「引き寄せの法則」で言うところの「ウェルビーイング」を取り入れることにしました。

心地良い状態(調和)にあるかどうかが、私が自分らしくあるための大事なポイントなんです。

だからこそ、何が心地良くて、何が心地悪いのかを理解しておく必要があるんですよね。

とは言っても、「自分の心地よい」が「ワガママ」になったら周囲の人との摩擦が生まれるんで、そこは気をつけなきゃと思ってます。

そういう意味では、お互いの心地良い状態も、情報として共有できればなと思うんです。

言語化は自分と社会を共感でつなぐ

 自分について言語化することは、自己理解にとどまらず、自分の望みを明確にしたり、自己成長を促したりするものだと思います。

言語化を通して得られた気付きが、周囲の人への共感や社会とのつながり方にも影響を与えると思うんですよね。

今まさに、私は家庭で実験中なんですが、関係性は、結構マイルドな感じです。



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