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こんにちは、ミオドットエムです。
今日は、少し壮大なテーマについてお話しします。それは、「真理」についてです。
どっちなんだい!?私の真理探求
スピリチュアルな世界に足を踏み入れてから、「真理」という言葉をよく耳にするようになりました。
でも、真理が「絶対的なもの」なのか、「自分で探求するもの」なのか、それとも「存在しない」のか、頭の中は混乱するばかりでした。
私はこの3つの選択肢の中から、「真理は自分で探求するものだ」を選びました。
なぜなら、この考え方は、他人の価値観を尊重し、多様な答えを受け入れる柔軟性を与えてくれるからです。
鋼の錬金術師が教えてくれた「真理」
私が真理について深く考えるようになったきっかけは、「鋼の錬金術師」です。
主人公の兄弟は、「錬金術さえあれば何でもできる」という「真理」に囚われて、悲劇を招いてしまいます。
しかし、彼らは葛藤を抱えながら学びを深め、自分だけの「真理」を見つけていくんですよね。
この物語が教えてくれたのは、自分の経験や学びが伴っていなければ、誰かの真理は単なる幻想に過ぎないということ。
人生における様々な経験は、私たちに破壊と再生をもたらして、独自の真理を見つけるきっかけになるんだと思いました。
私の場合は、「人生創造には自己理解が不可欠だ」という自分なりの真理を得たと思っています。
でも、これは絶対的なものではなくて、今後、何らかの壮絶な体験の度に変化し続けるのかもしれません。
未来の自分が、一体どんな真理のもとに生きているかなんてわからない。だからこそ、終わりのない探求が私を成長させてくれると思うんです。
「我の真理」VS「彼の真理」
もし、お互いの真理がぶつかる時は、どうなるんでしょうか。
それは、「彼の真理」によってひっくり返されるわけでも裁かれるわけでもなく、結局は「我の真理」によって衝撃的な一撃(自爆)を自ら食らうんだろうなと思います(笑)。
自分が放ったものは、自分に返ってくるんです(それが引き寄せの法則)。
さっきの「鋼の錬金術師」の主人公じゃないですが、自分の真理に囚われてしまうことは、誰にでもあることだと思います。
生きている以上は真理と向き合い、ステージを上げる必要があるのかもしれませんね。
誰かの言葉を鵜呑みにするのではなく、自分の人生で得た経験や学びを土台に、自分だけの真理を見つけることが大切だと気づかされました。
人生は、創造できる一方で、コントロールできないもの。
この矛盾を受け入れ、自分自身を責めず、他者を批判せず、自分の真理と向き合いながら生きていく。
難しいですが、それが私の探求の旅だと思っています。