大人になるってどゆこと?

2025/03/13

学び

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こんにちは、emuです。

子供の頃の私は、多少の違和感を感じつつも、両親や先生たちを模範にしてきたように思います。

そして、大人の反応で「自分はちゃんとできてる」「間違っている」と判断していました。

そんなこともあり、その基準から大きく外れるような人には、物凄い嫌悪感を抱くこともあり、バッサリと関係性を切ってしまうこともありました(笑)。

ところが、社会に出たら、なぜか「正しい」はずのことのほとんどが覆されてしまい、「大人って何なんだろう」「大人から教わったことって意味あったのかな」なんて思うように…。

今回は、ふと「自分は良い大人になれたのだろうか」と気になり、これをテーマに書こうと思います。

「大人」って、なんなのさ

この年になって思うことは、私を含め、大人は必ずしも正しいわけではないし、中身が成長していない場合もあるということ。

それは、娘の「今日の学校での出来事話」を聞いていても、日々感じることです。

理由も聞かずに怒ったり、自分のことを棚に上げたり、自分ルールを押し付けたり、ごまかしたり、拗ねたり、察することができなかったり⋯。

はっきり言って、単に年取ってるだけじゃないかと思うんですよね。

それに、実家で両親のちょっとした喧嘩の様子を眺めていても、「あれっ?二人ともこんなに子供っぽかったっけ?」と思うほど、実に幼稚な理由でモメているわけです(笑)。

そういう私自身も、心当たりがありすぎて、度々反省することがあります。

なぜなら、「自分が正しい」「いい加減な人間こそ悪だ」なんて、自分の正義を振りかざしてしまうことがあるからです(教育の賜物)。

だから、私は「良い大人」とは言えないかもしれません(笑)。

幻想と現実

子供の頃「大人」に描いていたのは、ただの幻想でした。

「私は周りのいい加減な人たちと違うんだ」と完璧を目指すほど、自分の至らなさに意識が向いてダメ出ししたり、周囲の人の未熟な部分も許せませんでした。

そう思い込んでいた当時は、かなり自分や他人を追い込んでいたと思います。

「器」と「年齢」

「大人」なんて、ただの「枠組みのひとつ」で「言葉の表現」。

重要なのは、「人としての器の大きさ」なんだと思います。

そのためには、いい意味で「開き直ること」が必要なのかもしれません。

それは、幼稚な自分を受け入れると同時に、「お互い様」だと捉えられるくらいの心の余裕を持つということです。

精神的な未熟さは、無自覚に表れるものだと思います。それを理解できているかどうかが、「ちゃんとした大人になれるか」の分かれ道なのかも…。

「私は大人なんだぞっ!」なんて子供たち相手にエラそうにしても、子供はちゃんと、こちらの器を見抜いているんだと思います。

娘曰く、「お母さんは、他のお母さんと比べて、まだマシな方だと思うよ(マシって⋯)」だそうな(笑)。

親の私が言うのもなんですが、娘と話していると、その器を感じさせられることがあります。結構、教わることが多くて、どっちが大人かわからないんですよね。

ほら、鬼滅の刃の竈門炭治郎やヒロアカの緑谷出久だって、「人生何周目だよっ!?」ってツッコミたくなるくらい中身が出来てるし、10代を甘く見ていたらだめですね(アニメやん 笑)。

器の大きさに、きっと年齢なんて関係ないんでしょう。

だから、私は今日も、開き直って生きています(笑)。


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自分らしい人生創造について探求しながら発信活動をしている田舎在住の主婦

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