社会人になったり、親元から離れるタイミングが、本当の自分を生きるためのスタートを切る時なのかもしれません。
「いやいや、この世に生まれた瞬間からでしょーよ(笑)!」
と思うかもしれませんが、周囲の大人や友達の価値観に大きく影響を受けていたことを思い知るのも、大体それくらいの時期ですよね。
私がなぜこんなことを書くのかと言うと、あと2年程で、娘が大学進学のために家を出るからです。
社会の壁と、もろくも崩れた価値観
私自身、社会の洗礼を受けて苦しんだことがあります。なぜなら、それまでに培った価値観が全く通用しなかったからです。
おまけに、真面目な人間ほど損をするのは社会でも同じで、何も報われず、かなりショックだったんですよね。
当時は目の前に起きていることも、その理由もわからず、自分の全てを否定されたように感じていました。
心の平穏とはほど遠く、愚痴っぽくなったり、被害者意識に浸るようになって、メンタル的に病んでしまったこともあります。
もし第三次反抗期ってものがあるのだとしたら、それはきっと、全ての責任を社会に押し付けて拗ねることなのかも(笑)。
ズレていた本質と自分探しの旅の始まり
結局は、社会に出る前に身につけたことが、自分の本質とはズレていたんです。
自分なりの価値観も大切にしてきたけれど、集団生活で身につける習慣って、良くも悪くも、しっかりと潜在意識に根付いてるんですよね。
だからこそ、なかなか自分では気付くことができなくて、モヤモヤしてしまうんだと思います。
ライフステージは学びのステージ
ある意味「そんな偽った自分でいいのか?」と本来在るべき自分の姿を思い出すために、通過儀礼のような出来事を引き寄せていたのかもしれません。
これまでの人生を思い返すと、ライフステージが変化するたびに、そういうイベントが訪れていたんです。
「思ってたんと違う!」と思う時こそ、自分の内側を見つめることで、無意識にそうせねばと思い込んできたことや不要な価値観を手放すことが重要なんだと思います。
それぞれの人生を尊重するということ
とはいえ、たとえ私が自分の経験を子育てに活かそうとしても、娘には娘にとっての人生の学びがあるんですよね。
傷つかないように先回りしたり、求められてもいないアドバイスをする必要なんてないんだと思います。
だって、娘は私じゃないんですから。
卒業は通過点。人生を自分で創る
学校の卒業証書を受け取ったからと言って、人生の学びが終了したわけじゃない。学びと変化を続けながら、自分で人生を創っていくものなんですよね。
私が娘に言えることは、それくらいかな。
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