引き寄せの法則、潜在意識、宗教、占いなどのスピリチュアルな分野に意識を全フリすると、やっぱり現実創造がストップするんだなと実感しました。
頑張りすぎて身体を酷使するのはその真逆。
三次元的なアレコレに囚われすぎているからこそ、心身の不調が原因で、強制的に休まざるを得ない状態に陥るのかもしれません。
目次[非表示]
スピリチュアルへの傾倒と現実創造の停滞
極端に振り切ってしまうと、それと同じくらい、思考と感情、心と体のズレが激しくなります。
私自身の過去を振り返ると、精神的な落ち着きを取り戻すためにはスピリチュアルな学びが必要だったし、この世界で生きていくためには現実的なアプローチが必要でした。
気力を充電したら行動を再開して、手に入れたい知識や体験、物質などの獲得に励み、休息する。
このリズムの調和が、この物質世界で求められるルールなのかもしれません。
三次元的な願いと行動の必要性
お金とか結婚なんかの三次元的な願いがスピリチュアルだけで叶わないのは、行動しなきゃ手に入れられないってことなんでしょう。
体を動かしたくないなら、せめて「お金欲しー!!」「パートナー募集中!!」って、周囲に言葉を発するくらいは必要。
それも立派な行動のひとつだから、気楽に放っておけばいいのかもしれません。
「宇宙へのオーダー」と現実世界へのアプローチ
「宇宙にオーダー」とは言うけれど、誰もいない空間で発するより、人けのある場所でアピールする方が、より効果的で健全なんじゃないかって思うんですよね。
そしたら誰かがお金をくれるかもしれないし、何かをプレゼントしてくれたり、奢ってくれるかもしれない。
パートナーを紹介してもらえるかもしれないし、告白されるかもしれないし、出会いの場が見つかるかもしれない。
子供が欲しいものをお店でガン見してたら、よほど勘の悪い親じゃない限りは「欲しいのかな、興味あるのかな」って気付くはずですよね。
子供の方が容易く欲しいものを手に入れやすいのは、ちゃんと態度で示しているから。
欲しいものについて口や態度で語るって、ものすごく大事で簡単なアクションなんだと思います。
手段への固執を手放すということ
「望みを手に入れるための手段は気にしちゃいけない」って、確かにそうだと思います。
手段に拘っていたら、他の入手ルートを自ら拒んでいるのと同じなんですよね。
「思考に囚われてはいけない」「思考を優位にしない」と言われるのは、そうやって執着しないためで…。
よくよく思い返してみると、私も直感で選択したり行動すると、上手くいっているように思います。
小さな振り幅でバランスを保つ生き方
スピリチュアルは、あくまで視座を高めて気付きを得るもので、体は現実に働きかけるもの。
これを見失うと、あっという間に年をとって「まだ叶わないんだよね」ってことになりかねません(笑)。
振り幅の小さい状態で、スピリチュアルと現実のバランスを保ちながら今の自分のままで出来ることをする。
それこそが、「人生楽勝♪」の極意なのかも。
≪真面目モードの自己探求Blog≫