美の多様性と自己受容〜外見至上主義へのアンチテーゼ〜

2025/03/26

自分らしさ

こんにちは、 ミオドットエムです。


私はここ数年のうちに、「清潔感」を含む世間の「美意識」についていけなくなっています(笑)。


それは歳のせいでもなく、自分の価値観がガラッと変わったからだと思います。


だって、かつては命がけ(?)でアレコレやっていたんですもん。


エスカレートする「美のこだわり」と「清潔感」


例えば、過去のパンデミックあたりから「見た目の美しさや清潔感」が重要視され、「マスクをしている今だからこそ」と歯列矯正を始める人を多く見かけるようになりました。


「見えない部分のお手入れ」がどんどん一般化され、遂には「介護脱毛」なんてものまで登場(Wow!)


歯のホワイトニング、シミやシワなどのケア、美容整形、ムダ毛の処理、縮毛矯正、ヘアカラー(白髪)、体臭のケア…。


世間の価値基準はどんどんエスカレートしているようで、そのうち本当に人類はグレイ(宇宙人)化するんじゃないかと思うほど(笑)。


まぁ、それは冗談なんですが、常に他者の評価を気にしなければならない状況を、自らで作り上げているように感じるんですよね。


「ルッキズム」という言葉のインパクト


確かに、新しい技術がどんどん生まれることで、いろんな悩みが解消されるのは素晴らしいことです。


でも、自分自身の価値観を周囲に押し付けているなら、それは個性の否定でしかありません。


最近は「ルッキズム」って言葉を頻繁に見聞きしますが、それは日常にも潜んでいるんですよね。


いつだったか、娘がボヤいてたんです。


学校で、友達に「二重整形しないの?」って言われたらしく(娘は切開法じゃないと難しいくらいの一重まぶたです)、「私の前で『今日は二重の調子悪い〜』とか言ってんじゃないよ!こっちは万年一重で調子悪いわ!!』」と(笑)。


そりゃそうですよね。言った本人に悪気はなくても、自分の価値観で「一重まぶたは施術を受けるべき」って言ってるのと同じなんですから。


とはいえ、私も娘も、無意識にそういうことを口にしている恐れもあるわけで。


個性を尊重する流れの中で、外見のカスタムが重要だという価値観を押し付けるのは、少し矛盾してるかもしれません。


「ルッキズム」って言葉が与えるインパクトは、良くも悪くも私たちに影響を与えていると思いますが、自分と向き合うテーマにはピッタリだと思います。


視覚情報だけがすべてじゃない


確かに「メラビアンの法則」でも、視覚情報が重要視されています。どんなに綺麗事を並べたても、少なからず、お互いに見た目で判断し合ってるんですよね。


さっきの「一重まぶた」の話じゃないですが、自分自身の何かを否定している以上、相手への否定とも受け取られかねないわけです。


それは、人間関係だけじゃなく、自己受容の観点からも、望ましくないと言えます。


だとしたら、自己受容を心掛けて、「自分はこんな人間です」とポリシーを持って堂々としている方が、よほど自分らしいし、相手の受容にもつながると思うんですよね。


心地よい関係性のための印象づくりを意識する


大切なのは、ありのままの自分を受け入れてくれる人との関係性を築くことです。


「気に入られるための自分」を作るのではなく、「ありのままの自分を活かす」印象づくりを意識する。


ビジネスのためであれ、恋愛のためであれ、自分の本質からズレることなくアピールできれば、これほど生きやすいことはありません。


まぁ、世間の価値観に乗るだけ乗って、そこから不要なものを手放すって方法もアリですよね、過去の私みたいに(笑)。


だから、私は今日も、私らしさを活かします。



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