模倣と創造の境界線
「〇〇風」という表現は、それが特定のスタイルやブランドを強く想起させるからこそ、価値を持つことがあります。
でも、この「風」が、オリジナルの創造主やブランドの意図しない形で使用される時、私たちは何を感じるべきなんでしょうか。
そこには、長年培われてきた知的財産権やブランドイメージへの敬意という、大切な視点が求められるはずです。
AIが特定のスタイルを学習し、新たな作品を生み出す能力は驚異的ですが、その根底には、人間の手によって生み出された膨大なデータが存在します。
それに、そのデータの背後には、途方もない時間や情熱、魂を込めたクリエイターたちの存在があることを、忘れてはならないと思うんです。
AIの進化が速い今だからこそ、私たちは「誰かの労力の上に成り立っている」という意識を深く持ち、その対価としての敬意を忘れてはならないと強く感じています。
NFTアートとファンアートの視点から倫理的な問いを深める
この議論は、AIアートに限った話ではありません。
例えば、NFTアートの世界でも、既存の作品を安易にデジタル化して販売したり、著名なアートの模倣品が高値で取引されたりする事例が見られます。
また、長らくグレーゾーンとされてきたファンアートも、それが商用利用されたり、オリジナルと見紛うばかりの形で流通したりする際には、著作権や商標権の侵害という問題が浮上します。
「誰もが平等にAIツールを使って自由に創造できる」というのは、それはそれで、いろんな可能性を秘めているんですが、技術だけが独り歩きして秩序が整っていない状態を示していますよね。
それに、創造する側も、享受する側も、より高い倫理観を持って行動することが、健全な文化の発展には不可欠だと思います。
AIが拓く創造の可能性と責任
AI技術は、確かに新たな創造の扉を開く可能性を秘めています。
これまで想像もできなかったような表現や、制作プロセスの効率化など、その恩恵は計り知れません。
でも、その一方で、私たちはその力を「いかに責任を持って使うか」という重い課題に直面しています。
オリジナルへの深い理解と敬意を払い、著作権や知的財産権の尊重を前提とした上で、AIを創造の「道具」として賢く活用する。
それが、私たち人間がAIと共存し、共に新しい文化を築いていく上で、最も大切な視点になると思うんです。
未来の創造性が、単なる模倣の連鎖ではなく、倫理的な基盤の上に成り立つ真に豊かなものとなることを願うばかりです。
考察後記*私の価値観とAIの未来
今回このテーマを選んだのは、「ジブリ風AI」の話題に触れ、個人的に深く心を揺さぶられたからです。
幼い頃から好きだった「ジブリアニメーションの世界観」が、まるでインスタント食品のように簡単に再現されてしまうことに、正直なところ寂しさを感じました。
もし、公式な企画として「あなたをジブリの世界観の仲間に」というのであれば、それは心から歓迎したでしょう。でも、現状はそうではありません。
それに、私自身も「自分のオリジナルイラスト(アート)を仕事にしたい」と一度でも真剣に考えたことがあるからこそ、創造する側の立場として、この問題を深く捉えています。
強い興味と関心があるからこそ、「寂しさ」が湧き上がったんだと実感しました。
真面目で、時に感情的に物事を捉えがちな私は、大切なもの(ここではジブリの世界観)を守りたいという気持ちが強くあります。
そして、何事においてもバランスを大切にし、自分なりの正しさを追求したいのです。
そんな私の性格が、人間関係において、時に衝突を生む原因になっているのかもしれませんが(笑)。
この一連の出来事から、私は改めていくつかの価値観を再確認しました。
- 知らないことは、恐ろしいこと。確認は大切。
- そこに「リスペクト」はあるのか、立ち止まって考える。
- 自由と多様性は、秩序の上に成り立つ。
だから、私は今日も、これらの価値観を大切にします。