こんばんは、emuです。
今回は、ちょっとした長い世間話を。
今朝のニュースで「ジブリ風イラスト生成AI」が問題になっていると取り上げられてて。
生成するためのプロンプトに「ジブリ風」を勧めている動画を見かけたこともあって、以前から少しモヤモヤしてたんです。
なぜなら、私も作品を作ることがあるし、何より、子供の頃の思い出がなんとなく汚されたように感じたからです。
それに「ジブリ」って固有名詞(商標)を無断で使用していることに、違和感があるんですよね。作風や雰囲気に関しては「問題なし」になるのかもしれないけど、政治にも利用されているわけで…。
私は、他者の知的財産権やブランドイメージを尊重し、倫理的な配慮を怠らないことが大切だと思っています。
そして、この機会に著作権や商標権に関しての認識を改める必要があるのかなと感じました。
こういうテーマについて考えることも、自分の価値観がハッキリ理解できると思うんですよね。
知らないことは、恐ろしいこと
多くの人は、ブランド品の模倣品や海賊版を販売・購入することや、無断で著作物をアップロード&ダウンロードするのは罪だと知っていると思います。
でも、大抵の人が「著作権」って言葉だけを知ってる程度で、自分にはあまり関係ないと思っているかもしれません。
その点、自分で作品を作って販売しているクリエイターさんは、自分の作品を守るための知識として備えている場合が多いようで。
作品を「我が子」と言う人もいますからね。
作品を作る人は、もともと感受性が豊かで繊細だから、自分の作品の模倣には敏感だったりもします。
過去の私は、「パクリや偽造は駄目だ」くらいの浅い知識しかなかったんですが、いつだったか、大人気のアニメキャラクターを無断でケーキに複製して販売した人が書類送検された事件で、事の重大さを知りました。
知らないということは恐ろしいもので、店側が堂々と販売を告知していたら、何の疑いもなく購入してしまうかもしれません。
本来、販売が可能なのは、キャラクターの著作権者とライセンス契約を結んでいる場合のみ。大手企業とのコラボでもない限りありえないってことは、ちょっと考えればわかること。
わかることなんだけど、そもそも著作権について知らなければ、考えることもできないんですよね(⋯どうしたものか)。
NFTアートや生成AIについては、歴史が浅い分いろいろ騒がれているわけだし、この先は購入する側も「知らなかった」では済まされなくなるのかもしれません。
世の中の情報を知らないのは恐ろしいことだけど、考えないことも同じくらい罪なのかもしれない。だからこそ、日頃から物事に関心を持ち、自分で考えることが重要なんだと思います。
「〇〇風」も「クロ」だと判断するのが無難
Instagramにも、アニメのキャラクターを描いて投稿している人は数多くいます。
自分の腕前をアピールしたいのかもしれないし、描くことの喜びを共有したいのかもしれません。ある意味、承認欲求を満たすにはもってこいの方法ですもんね。
誰もが知っているキャラクターなら、見ている側としては、その腕前が分かりやすい。
だからこそ、描く側としては、その方法でアピールして、稼ぐ可能性につなげたいのかもしれません。
でも、既に「個人で楽しむ範囲」を越えてしまってるような…(特にビジネスアカウントの場合)。
直接的にキャラクターのイラストを販売しなくても、それを集客に使えば、商用利用とみなされる場合もあるんですよね。
見ている側が既存のキャラクターだと認識できるものは、たとえ自分流のタッチにアレンジして作画しても、そのキャラクターの域を越えることはありません。
「○○風のイラスト」として販売している人もいますが、消費者側も、自分の身を守る意味で「○○風」もクロとして手を出さない方が無難でしょうし、作者の利益保護につながるように、公式販売を利用することが重要だと思います。
そこに「リスペクト」はあるのか
フォロワー数の多い海外のアーティストさんも、自分で描けば問題ないと思っているのか、はたまた何も考えていないのか、日本アニメのイラストやグッズを堂々と告知販売しているのを見かけます。
日本のアニメを好いてくれるのはいいのですが、ファンアートと言えば聞こえはいいけど、その動機が純粋なものか、自分自身に問う必要があるんじゃないかと思います。
本当に作者へのリスペクトがあるなら、利己的にはならないと思うんですよね。
動画などの広告収入を含め、アニメグッズに関する収益全部を著作権者に寄付して活動をサポートするなら、ガチのファンかもしれないけど…(いないよね)。
販売者も消費者も、自分のやってることに疑いを持つ必要があるんだと思います。
秩序をもたらすのは各々の意識
多様性や自由を履き違えていると、何でもアリだと錯覚するかもしれません。特に今の社会は、そのが色濃く映し出されているように思います。
でも、本来の多様性や自由は、秩序と責任の上に成り立つもののはず。少なくとも、私はそう認識してます。
「誰もが平等にAIツールを使って自由に創造できる」というのは、それはそれでいろんな可能性を秘めているけど、技術だけが独り歩きしていて秩序が整っていません。
だからこそ、各々で判断して使うしかないんですよね。
そんな混沌とした中で「ジブリ風イラスト生成AI」なるものが登場して政治利用されたりしているけど、その作風がそこまで成長するまでのプロセスを、使う人はどう捉えているんでしょうか。
権利だけじゃなくて、作者や制作に携わっている人たちの気持ちは考えなくていいのかな…。
個人的には、ジブリのアートスタイルから学ぶことと、ジブリ作品の世界観を壊すような紛らわしい画像を生成することの線引きは、必要なんじゃないかと思います。
ジブリが「ジブリ風イラストメーカー」なるアプリを開発して提供しているならまだしも、著作権者でもない第三者が「ジブリ」の名前と作風を大量模倣生産させることに疑問を持たず、ただ「楽しけりゃいいじゃん」で済ませているなら、ものすごく残念でなりません。
きっと、この件を自分事として捉えている人は、使用していないと思います。
例として適切かはわからないけど、もし学校の授業で自分の子供が試行錯誤して作った作品を、「それいいじゃん」ってよその子が模倣していたら、SNSでぼやく親もいると思うんですよね。
それでも、各々の意識次第で秩序を整えることは可能なんじゃないかって理想を、ここで投げておこうと思います。
結果、私は…
⋯まぁ、こうやって鼻息荒く書いてしまうのは、私が真面目で、感情的に物事を捉えるタイプだからなんだと思います(笑)。
大切なものを守りたいし、そのためならジャッジしまくって物事のバランスを取りたい。そして、自分の正しさを訴えたい(…だから人間関係が 笑)!!
今回のテーマで、また改めて自分という人間についての理解が進みましたとさ。
ちゃんちゃん♪