「……あれ?先生は、一体誰の成績の話をしているんだろう?」
小5の懇談会で、担任の先生が語る娘の成績は、私が家で見ていた「はず」の結果とは、あまりにも違っていました。
足元から冷気が這い上がってくるような、あの感覚。今でも、よく覚えています。
どう接するべきか…
学校からの帰宅途中、正直、私は「なぜ隠したの?」と聞きたくて仕方がありませんでした。
でも同時に、それを聞いた瞬間、娘の心が完全に閉じてしまう気もしていました。
私は、親として何を守ろうとしているのか。
娘の将来なのか。
それとも、「ちゃんとした親でありたい」という自分の不安なのか…。
答えは出ないまま、自宅に到着。
「今日、先生がね、誰の話してるんだろうって、不思議に思ったんだ。〇〇(名前)、いつもテストの報告、してくれてたもんね?」
咄嗟に出た言葉でした。
その瞬間、娘がせきを切ったように泣き出したのです。
彼女は、私が帰宅した後のことを想像しながら、震えていたのかもしれません。
なぜ、気づいてやれなかったのかと、自分の不甲斐なさに落ち込みました。
こう解釈することにした
今振り返ると、あのときの娘は、追い詰められていたのだと思います。
これは心理学的にどうこう、という話ではなく、私がそう捉えることにした、というだけです。
点数が悪いことが、叱られる理由になるだけでなく、「がっかりされる原因」になるかもしれない。
そう感じていたのだとしたら、隠すという選択は、娘なりの防衛だったのかもしれない。
そう考えたほうが、私自身が、次の一手を選びやすかったのです。
私が「やらなかったこと」
あの夜、私はいくつかの選択肢を意識的に捨てました。
・ついやってしまいがちな「正論を言うこと」
・反省を無理に促すこと
・「次は頑張ろう」とプレッシャーを与えること
・原因を今すぐ特定しようとすること
どれも、親としては「正しそうなこと」です。
でも、そのどれもが、当時の娘にとっては重すぎる気がした。だから私は、「今は介入しない」という選択をしました。
正解は、今でも分からない
後日、娘のほうから「本屋に行きたい」と言われました。
私は口を出さず、ただ一緒に行って、本人が選ぶのを待ちました。
その選択が、成績向上につながったのか、自信につながったのか。正直、因果関係は分かりません。
ただ一つ言えるのは、私は娘の人生を、娘に返した、という感覚だけです。
迷いはある
大学受験を控えた今も、迷いがなくなったわけではありません。
親として、何もしないことが正しいのか。見守ることが、逃げではないのか。
今でも、答えは出ていません。
ただ、あの日を境に、「子どもをどう導くか」ではなく、「自分はどこまで関与するのか」を考えるようになりました。
これは、対処法ではありません。再現性のある話でもありません。
ただ、私があの夜、こう判断したという記録です。
emu