こんにちは、emuです。
以前、自己紹介で「ブラック企業体験」について少し触れましたね。あの時の傷が癒えた今、ふと心に浮かんだことがあります。
それは、もしかしたら「ブラック企業にしたのは、私なんじゃないか」ということ。
この考えに至るまでには、本当に長い時間、自分自身と向き合ってきました。
だから、これからお話しする内容は、もし今心が疲れている方がいたら、心の状態が安定している時に読んでいただけると嬉しいです。
「新しい自分」になろうとした結果
仕事を辞めた時、「もうあの頃の自分は終わりだ」とリセットするつもりで、次の就職に臨みました。
これまで接客業ばかりだったので、「全く違う職種を選べば、きっと何かが変わるはず」と信じていたんです。
過去の経験から、自分を出すと人間関係がうまくいかないと痛感していた私は、新しい会社では「会社や同僚が望むように、自分を抑えて働こう」と決めていました。
でも、今思えば、それがすべての元凶だったんです。
違和感を飲み込んだ代償
入社初日から、既にそこには違和感がありました。
機嫌の浮き沈みが激しい社長の言動、張り詰めた空気、終始こわばった表情の先輩…。
以前の私なら、きっとその違和感に抵抗していたでしょう。でも、あの時の私は、それをグッと飲み込むことにしたんです。
なぜなら、当時の私は「私にはもうこの会社しか残されていない」と極端な覚悟をして入社したからです。
無価値感でいっぱいだった私は、そんな視野の狭い思考しかできていなかったのでしょう。
そして、「雇ってもらったことに感謝しなきゃ」という思いから、会社からの異常な「飴と鞭」を甘んじて受け入れるようになっていました。
それこそが、会社でうまくやっていく唯一の方法だと思い込んでいたんです。
理性で感情を抑え込み続けた結果、わずか4カ月で心身が限界を迎え、私は退職しました。
「引き寄せた現実」と「私の認識」
今なら、あの時の出来事は私が引き寄せた現実だったと理解できます。
自分を過剰に抑え込み、会社の主導権にすべてを委ねていたのですから、当然の結果だったのかもしれません。
雇用関係を結んでいる以上、私は会社に貢献する努力を求められる立場です。しかし同時に、会社には、従業員が安心して働けるよう職場環境を整える「安全配慮義務」があります。
そもそも、最初の違和感をスルーしていなければ、私はブラック企業体験なんてしなかったはず。私自身の偏った思考が、あの会社を「ブラック企業」だと認識させたのだと、今は思います。
「ブラック企業」という言葉は、あくまでその体験者の口から語られる側面でしかありません。逆に、会社からすれば、私は「ブラック社員」だったと言えるのかもしれませんね(笑)。
自分を信じることの大切さ
あの頃、過剰なまでの自己否定や無価値感が、私から正常な思考や選択肢を奪っていました。
でも、その原因を自分自身に求めるなんて、当時の私には考えもしなかったことです。
渦中にいる時は、物事を俯瞰して見るのは本当に難しいかもしれません。しかし、自分の直感や本心を侮ってはいけないと、今だからこそ強く思います。なぜなら、それこそが、危険を察知し、自分を守るための「安全欲求」だからです。
私はそれを無視した結果、望まずして過酷な体験をすることになったのでしょう。
未来は、いつでも描き直せる
ブラック企業を辞められずに思い悩み、悲劇的な選択をしてしまう人がいる一方で、自分の理想や条件に合わないことを理由に、「退職代行」を使って会社を辞める人もいます。
もし、私たちが自分の存在価値を心から受け入れ、自分自身を信頼することができれば、そもそもブラック企業のような現実を招き入れることはなくなるのかもしれません。
私は、たとえどんな状況にいても、自分が望む未来さえ描き直すことができれば、いつでもそちらの現実を選び取ることができると信じています。
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